「人生は自信のないときに もがいて必死になっているときが 実はいちばん輝いているのです」
著者は子どものころ、こっそりやっていたおまじないがあります。
石鹸で手のひらにシャボン玉をつくって、それにふーっと息を吹きかけて「美しく輝け!私のからだ!」と言うのです。
小学校の時、何かの本で見てこっそりやっていた習慣。
おまじないをすることで、見た目には効果がなかったのだそうですが、ちょっときれいになれる気がしたのでした。
それだけのことで、顔を上げて歩くことができたのだとか。
自信は、経験や結果、評価や努力から形作られますが、こうした「思い込み」のお魔法も、自信を生み出す1つのエッセンス。
そして、このエッセンスはいちばん手軽です。
呪文がかかっている間に動いて努力して、結果や経験や評価を積み上げていけばいいのです。
自信はないより、あったほうがずっといいですよね。
挑戦する回数だって、断然多くなります。
今、ゼロでもいい。
今、ここからつくるのです。
折れない「根っこ」をつくる
自信が生まれるとっておきの呪文
自信がないひとは、「〇〇だけは自信がある」という部分を見つけるのが下手なのかもしれません。
もしくは理想が高すぎて、「料理ができると言っても、栗原はるみさんレベルではないし」と、比較対象が高すぎたり。
ストイックでまじめだからこそ、自信が持てないのです。
けれども、そんなに遠慮したり、理想を追い求めたりする前に、今のあなたの等身大で考えて、「まだ修業は足りないけれど、”〇〇が好き”という気持ちには自信があります」という表現ならできますよね?
著者は営業の仕事を始めた時、まったく自身はなかったけれど、ひとつだけは守った約束がありました。
それは、「自信がない」と言わないという約束です。
自信などないのです。
やったこともないし、保証もないし、まったくのゼロです。
そして、「お客さんとの雑談は得意です」とか、「この部分の説明には自信があります」と言い続けました。
もちろん努力はしたけれど、「自信がない」と自分に逃げ場を作っていたら、絶対に世界ナンバー2の成績など100%残せなかったと著者は言います。
言葉のパワー
信心深く、神棚を持っていたり、神社の本も書いていたりする著者。
そして、言霊というものが実際にあると信じています。
優等生のように、「そんな言葉を、お使いになっていはいけません」と目を吊り上げて言うつもりもありませんが。
けれど、最近のいじめ問題で子どもたちが「死ね」なんて呪詛の言葉を使っているのを見ると、何だか怖くて背筋が寒くなります。
言葉は口に出せば、自分から離れています。
そしてそのあと、自分の感情が落ちついても、言葉だけがそこにまるで声明を持ったみたいに残って、自分や相手を幸せにしたり、不幸にしたりするので、やっぱりなるべくよい言葉を使いたいのです。
著者の周りには、前向きでいつも元気で、世間的に成功をしているひとと思われるひとがたくさんいます。
そういう人と一緒にいると、なんとも言葉が前向きで気持ちいいのだそうです。
あまりくよくよしない性格の人ばかりだそう。
友人の1人の勝間和代さんは、温泉に行く約束をしていて、その3日前に足を骨折してしまいました。
そのときのメールを見て驚きました。
「骨折したので、運転できなくなりました。
誰か運転できる人を誘うか、ハイヤーで行くか、どっちがいいですか?」
とあったのです。
勝間さんは、骨折してもキャンセルする気がまったくなく、「どうやったらいけるか?」と前向きなことしか考えていなかったのです。
ペーパードライバーだし、ハイヤーではちょっと遠いので、家での鍋に変更を提案。
でも、勝間さんが最後まで行く気満々だったので、軽い骨折かと思いきや、すごい松葉杖に分厚いギブスでやってきました。
そして、「まぁ、骨折だから痛いのは当たり前だけど、いつか治るし」という感じ。
「痛いんだよね」「残念だね」とは、まったく言わないのです。
この骨折の半年前もバイクで腕を骨折したか何かで、その時も骨折直後に一緒にうなぎを食べに行きました。
「だいじょうぶ?」と聞くと、
「ああ、お箸は持てるから大丈夫。
それより、けがしたことがヤフーニュースに出ていて笑った」。
こういうときに、「ああ、最悪」「ついてないな」「痛い、痛い」とか言わない方が、やっぱり回復は早いのです。
実際に回復は早くて、すぐまたバイクにまたがっていたのでした。
一人でうっかり嫌な言葉をつぶやいたら、「今の言葉、キャンセル!」と著者は空に向かってつぶやくそうです。
相手がいる場合は、たとえば「あの人ちょっと強引で目立ちたがりで」とついいってしまったら「でも、世話好きなところがいいよね」と訂正したり。
悪い言葉のパワーが消えるよう、最後によい言葉に変えてしまうだけで、実は気分がずいぶん変わります。
そして、自分自身を否定しないようになるのです。
弱い自分を演じない
ひとはときにちょっと弱さを演出してしまうこともあります。
けれど、そんなアピールをしても、結局数か月もいれば、ばれます。
最近は強い女性に軍配が上がる時代になりました。
しかし、強さ一辺倒に生きるのも、バランスが悪いもの。
上手に弱さも見せながら、強がってがんばる姿が、男女問わずちゃんと愛される姿なのではないでしょうか。
陽転思想の考え方
あなたは、「自分は絶対に幸せになるんだ」と信じていますか?
遠慮して、「自分なんか・・・」と首を振ってしまうかもしれませんね。
けれど、あなたが「自分は幸せになるんだ」と信じるのは自由です。
今、ひそやかに「自分は絶対幸せになる」と宣言してみてください。
これは、ひとつのおまじない。
それだけで、いろいろなことが肯定的にとらえらえるようになるのです。
”自分は不幸だ”と思っている人は、目の前のことをすべて不幸のネタにしてしまいます。
陽転思考は「ポジティブシンキングですよね?」と言われますが、ちょっと違います。
陽転思考では、プラスとマイナスの両方の面ぜんぶを受け入れ、そこから1つでも「幸せのネタ」をさがします。
たとえば、
”上司が頑固で仕事が面白くない
先輩がいじわるで仕事場がつらい
不景気だから、私は損をしている”
という思い。
これを陽転させると、
「上司が頑固だから、交渉力が鍛えられた。
先輩が意地悪だから、周囲の人が助けてくれるようになった。
不景気だから、節約術が身についた。
なぜなら私は幸せだから。
自分の目の前には、絶対幸せのタネしかないのだから」
となります。
どんな最悪の状況でも、「何かひとつでも光はないか?」と自問するのです。
ひどいことを言われて傷ついても、どん底だと思うことがあっても、
「理解してくれる人が一人でもいてよかった」
「人の痛みがわかるようになってよかった」
「命があっただけでもよかった」
となにかの「よかった」を探すのです。
その「よかった」が、人生の道を明るく照らす「ライト」です。
陽転思考では、「ダメだ、ダメだ」と暗くうずくまっているのと、「それでも、これがあってよかった」と明るい道を歩くのと、どちらの人生がいい?という二者択一を自分に課します。
どっちがいいか、自分で選ぶのです。
その方が、絶対に幸せになれます。
一部の人に嫌われても、多くの人に好かれればいい
「自信があるように思われると、嫌われそう」
「あまり自分を出しすぎると、でしゃばりだと思われない?」
そういう不安の声が聞かれます。
けれど、過剰な遠慮や心配、人の目を気にしてばかりいると、本当は持っていたかもしれない自身も煙となって消えてしまいます。
かつて著者も優柔不断で人の顔色を見てばかりいました。
上司に「そんなことをしたら嫌われませんか」と言ってしまったこともありました。
確かに全員に好かれようとしたら付和雷同してしまい、「自分の意見がない」ことになります。
差しさわりのない人にはなりますが、結果的にはどうでもいい人になってしまう。
上司のその言葉で、肩の力が抜けた著者。
世の中にはアンチという考えや嫌うという行動もあります。
タレントだって、人気が上がるほど、嫌う人が出てきます。
光が当たれば、必ず影が出るもの。
あなたを嫌う人がいても、「仕方ない」と受け止めて、あまりくよくよしないことです。
今日も1日お疲れさまでした。
ゆっくり休んで素敵な夢を。
では、また。