失敗は誰でもすることです。
大事なのは、そこで凹まないこと。
でも、心の反応は厄介なもので、すぐに「評価を下げたかも」「自分は向いていない」「なんてダメ人間なんだ」と自分を責めてしまいます。
こうした「自己否定の判断」に打ち勝つ、強い心作りを仏教から。
こんばんは、ラブです。
良し悪しを「判断」しないことで、「ムダな反応」を止める
人が悩んでしまう理由の一つが、「判断」のし過ぎです。
仕事の意味や人生の価値、誰かと比べて優れているとか劣っているとか、そんな決めつけや思い込み、自虐や失望、不安や尻込みや人物評も判断です。
それらは、不満、憂鬱、心配事などたくさんの悩みを作り出してしまうのです。
「自分を否定しない」どんなときも
失敗は誰にでもありますが、大事なことはけして自分を否定しないことです。
しかし、「判断」という心の反応により、自分を責めてしまいます。
人によっては(ワタシなどはよくやってしまうのですが)、コンプレックスや挫折感、「自分は生きている価値がない」と思い詰めてしまうことさえあります。
今の時代には、多くの人が自分を否定して苦しんでいるのだと著者は言います。
こうした「自己否定の判断」に打ち勝つ方法があります。
怒りを作り出しているのは「自分」
自分を否定すると、承認欲が満たされない「怒り」が生まれます。
怒りは不快な反応なので、それを解消したくて「攻撃」か「逃避」を選択します。
「攻撃」を選択した場合の行動は、キレる、怒鳴る、嫌がらせでの憂さ晴らし。
自分への「攻撃」として、自分を責める、嫌う、自分がいけないのだと断罪する、生きたくないと考える・・・。
「逃避」を選択した場合の行動は、無視する、さぼる、手を抜く、休む、引きこもる、ひたすら眠る、鬱になる、刺激・快楽に依存する・・・。
こうした反応が出てきたとき、自分も周りも「なんとかしないと」と考えます。
しかし、「なんとか(矯正)しないと」という判断も、また本人を否定しています。
つまり、また新しい「怒り」が生まれます。
それが新しい「攻撃」か「逃避」の反応を生み出し、「悪循環」に陥ります。
仏教では、「怒りを作り出さない」という方針に立ち、どんな状況でも「判断しない」(否定しない)ということを大事にします。
「自由な心を取り戻す」訓練
どんな時も自分(相手)を否定しないには?
私たちは「判断しない」という訓練を積んでいません。
だから、「否定しない」「ありのまま受け入れることが大切」と理屈ではわかっていても、頭の中で「やっぱり何とかしないと」と判断してしまいます。
判断については、前回勉強した「あ、判断した」に始まる3つの方法が使えます。
ここでは、「つい自分(相手)を否定してしまう」人向けの訓練の紹介です。
①まず、1歩1歩と外を歩く
②広い世界を見渡す
③「わたしはわたしを肯定する」と自分に語りかける
という方法です。
これは著者自身が、人生で一番苦しかった時期に実践していた方法だそうです。
①1歩、1歩外を歩く
1つは、すぐに外に出ること。散歩をすることです。
1時間でも、2時間でも、歩けるところまで歩きます。
そのとき、肉体がキャッチする感覚に意識を向けます。五感に意識を向けましょう。
その時間や季節によって変わる景色やにおいをフルに感じます。
脚から大地の感触を感じます。
その瞬間存在するのは「感覚」です。
さっきまで頭を占領していた「苦悩」はもうこの瞬間にはありません。
日頃ネガティブな判断が心にわいたら、そこで「ゲームオーバー」だと考えます。
その先に待っているのは、自己否定という暗い妄想です。
その闇に希望はありません。
いさぎよく、「感覚」の世界へ、心の別の領域へ、意識を向けようと考えるのです。
比叡山では「千日回峰行」という毎日30~80kmの距離を7年歩き続ける
修行があるそうです。
「自己否定を抜けるための散歩」も、1つの修行のようなものです。
自分を苦しめる判断を抜けることほど、人生で大切なことはありません。
じっくりと肝を据えて、心の自由を取り戻すまで歩いてみるのも、楽しそうですね。
②広い世界を見渡す
外の世界を見渡してみると、実はあなたを「否定」する人間は多くないのです。
道行く人は、それぞれの日常を生きています。
道を尋ねても、商品の場所を聞いてみても、驚くくらい親切に答えてくれます。
人を否定するなどという発想すらなく、一生懸命生きている人がたくさんいます。
昼休みでも、帰り道でも、目を見開いて空を見上げます。
そこに広い世界があります。
自分はこれまで「自分を否定する判断」という一点だけを見つめ続けていたのかもしれません。
その判断は、親だったり、友達の一言や世間で流れている情報や価値観だったり、小さいころの「思い込み」や「勘違い」だったのかもしれません。
「執着」すると、その1点が大きく見えてしまうものです。それが「人生のすべて」に見えてしまいます。
その「執着」から1歩離れてみること。その1点に反応している自分に気づくこと。
外の世界を見渡してみると、その「否定的判断」も、もう存在しないのです。
③「わたしはわたしを肯定する」
「自分を否定しない」方法として、「ただ肯定する言葉」をかけていくというやり方があります。
ポジティブシンキングとは、ちょっと違います。
ポジティブな言葉を暗示として効かせる方法はありますが、あまりに前向きな言葉が「現実」とかけ離れていると、心がその「ウソ」を感じ、効かなくなることも。
問題は、今自分を否定してしまう判断を、どう止めるかということです。
そのためには、判断そのものを停止させる、シンプルな言葉が響きます。
それが「わたしはわたしを肯定する」です。
「どうせ」「しょせん」「自分なんて」という余計な判断が頭をよぎったときには、この言葉がよく効きます。
判断を止めて、人生の流れを変える
人生に、あやまち、失敗はつきものです。
大事なのは、その時「どう対応するか」です。
落ち込まない。凹まない。自分を責めない。振り返らない。悲観しない。
それよりも、今を見据えて、正しく理解し、”ここからできること”に専念すること。
迷惑をかけた場合には、事態を正しく理解して「すみませんでした」と素直に謝って、もう一度新しくやり直すのです。
考えても仕方のない過去の失敗を、ぐるぐるぐ~るぐると考え続けていたワタシです。
何度も死んでしまいたいと思いました。
自己否定でいっぱいになってしまっていましたが、それを「妄想」と断言してくれた本著に救われました。
毎日外を歩くようにしたら、気持ちがとてもラクになります。
「また失敗してしまうのではないか」という恐怖も、薄らいだ気がします。
失敗は誰にでもあるもの。
落ち込まない、凹まない、自分を責めない、振り返らない、悲観しない。
今できること、今この瞬間に五感で感じていること。
空を眺めて、そんなことに気持ちを定めてみたいと思いました。
今日もおつかれさまです。
明日もあなたにいっぱい素敵なことがありますように!
では、また。